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とことん遊ぶぞ 北海道! › 北海道開拓に思いを馳せる › 廃線となった松前線の遺構を偲んで

2012年09月30日

廃線となった松前線の遺構を偲んで

 函館市から松前町に向かう途中に。
 突然に目に飛び込んでくる、中途半端にクラシカルな風景は、ロマンチックに印象的だ。

廃線となった松前線の遺構を偲んで
【櫃の下川橋梁】

 廃止されたであろう線路の高架橋脚が、風景に刻み込まれている。
 この雰囲気が、とっても大好きなんだよね「とうちゃん」。

 【廃線】で残された風景には、物語があると思うんです。

 いつ頃、どのような人々が、どんな目的で作ったんだろう。
 血と汗と金が染み込んだ線路が廃線になる理由とは?





 【松前線】
 木古内町~松前町を結んでいた旧国鉄の路線の一つ。
 明治43年、鉄道敷設の期成会が設立され、大正2年にはセメント工場がある上磯まで開通。
 上磯以降は、昭和2年に起工となるも産業優先の世情からも工事の進捗がはかどらず。
 昭和16年頃から、松前の奥地に眠るマンガン鉱山輸送路確保の為にも、国策として秘かに松前まで
の工事再開準備が進み始める。
 昭和28年に松前駅までが開通し、全長50.8kmとなる。
 一時は、青函トンネルに接続される話もあったが不成立。
 松前駅まで開通してから、わずか35年しか運行されずに昭和63年、未成区間を残しつつ廃止された。

廃線となった松前線の遺構を偲んで
【松前駅 跡地】


 松前駅跡地で、周辺の地形についてGoogleマップで確認。
 配線されて25年近い年月が経過しているにも関わらず、地形から線路が敷設されていた場所を推測す
ることが出来る。
 土地に染み込んでいる記憶を垣間見る瞬間、これが面白いんだよね~。

 地図で線路のルートを考えていると、ちょっと理解できない場所がある。
 福山城周辺のラインだ。
 前後の地形から考えると、福山城跡に敷設しているような気がしなくもないけど・・・。
 まさか、城郭跡地に線路を通すなんて、あり得るのだろうか?

 「旧松前城」に向かう途中、横から見ると石垣のように見える構造物を見て、その謎が解決した。

廃線となった松前線の遺構を偲んで
廃線となった松前線の遺構を偲んで廃線となった松前線の遺構を偲んで

 トンネルだ!
 城郭跡地の地下をトンネルでぶち抜いているんだ。
 すげぇぇ~。


 今の時代の感覚で考えると、ちょっとあり得ないよね。
 明治政府により取り壊される扱いを受けた「福山城」。
 きっと、そんな感覚も残されていたのかな?

 時間の流れって、本当に面白い。



【参考】 松前町史、wikipedia

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Posted by 「とうちゃん」 at 05:13│Comments(0)北海道開拓に思いを馳せる
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