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とことん遊ぶぞ 北海道! › 北海道開拓に思いを馳せる

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2016年07月09日

北海道遺産「江別のれんが」を訪ねて セラミックアートセンター


【日本赤煉瓦建築番付 横綱 北海道庁】

北海道遺産のひとつ【江別のれんが】は。

北海道江別市で生産されている煉瓦で「野幌れんが」としても知られる。
「江別のれんが」は、周辺地域の土壌に多く含まれる野幌粘土を原材料として、褐色及び赤い色が
特徴のれんが。鉄道やトンネル・橋などのインフラ、サイロ、学校、民家、駅舎や倉庫建物などに
用いられ、北海道近代化に大きく貢献した。



【両登り窯の模型】


【輪環窯の模型】

江別では、現在でも3つの煉瓦工場が稼働しており、国内シェア20パーセント以上、日本有
数のれんが生産地
となっている。

輸送手段としての石狩川、れんがの原料「野幌粘土」、大都市札幌市にも近く、工業用地や薪材の
確保が比較的容易だったことなどが考慮され江別市でれんが製造が開始されたのは1891年のこと。
1898年には、北海道開拓には欠かせない北海道炭礦鉄道が野幌煉瓦工場を開設。
以後、煉瓦工場の進出が相次いだ江別は、一躍煉瓦の町として栄えることとなった。



【セラミックセンター外観】

れんがの町江別にある「セラミックアートセンター」には、「れんが資料展示室」「北のやきもの
展示室」が設置されていて、江別市そして北海道における、れんがの歴史を学ぶことができる。

ここでは、北海道のれんが産業の歴史を、各種れんがや生産用具など実物資料をはじめ、登り窯の
ジオラマ・輪環窯の模型・映像・写真などで紹介されている。


【様々なれんがと製作道具の展示】


【近代産業遺産にも認定された「江別のれんが」】


【フランス式とイギリス式の積み方の違いを体験】


北海道で現在活動中の窯(現窯)の作品が展示されている。
道内の現窯は300窯以上といわれているが、そこで創り出された個性豊かで自由闊達な作品が展示さ
れている。


【(可愛い)叫】


【なんか果物みたいで可愛いね】


「縄文土器焼き」のイベントに合わせて訪れたんだけど。
正直を言うと、「セラミックアートセンター」だけを目的に江別旅行をするのは寂しいかな。
ただし、ここでは色々な体験イベントが開催されているので、そちらを組み合わせることで1日を
楽しく過ごすことができると思うよ。
北海道開拓時代における「江別のれんが」の重要性について、もっとグイグイくる資料が見たかっ
たな、正直なところ。
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Posted by 「とうちゃん」 at 06:59Comments(2)北海道開拓に思いを馳せる

2016年05月31日

クラーク博士が残したもの 札幌農学校第2農場




クラーク博士が残したもの。

北海道畜産発祥の地であり、洋式農業普及の原点。
札幌農学校第2農場を訪れた「とうちゃん」。





「札幌農学校第2農場」は、広大な大地、北海道で大規模な西洋式農業を普及させるためのモデル
農場として作られた。

札幌農学校第2農場、通称モデルバーンの雰囲気は、開拓時代のアメリカを連想させる。
これが、クラーク博士の理想としていた農場のイメージなんだろうね。
「とうちゃん」も好きですよ、この雰囲気は。



【コーンバーン :玉蜀黍庫】

モデルバーンと同じ1877年に建築された。
建物の構造の内、特に屋根の構造はホイラーが設計した札幌農学校演武場に類似して、合掌材をカ
ラービームで繋ぎ止めている。
また、鼠害防止のため、高床構造になっている。



1911年の移転改築時の設計図面によると、ほとんどの部材が当初材を転用しており、明治初期の
佇まいを現在によく伝えている。
内部は見学可能で、農機具の進歩の歴史を、展示物を通して感じることができる。



【牝牛舎とサイロ】

「牧牛舎(牝牛舎)」の後ろには軟石造りのサイロがついている。
農場の発足以来,継続して畜産経営を行い、多くの成果を出してきた札幌農学校。

特に注目すべき事例を挙げると,明治22(1889)年に始めて導入されたホルスタイン種の乳牛は、
今日に至るも血統が続いて雌雄共に1,050産を数え,世界に例のない血統継続記録であるばかりか、
この中から北海道の基礎牛となって北海道酪農の発展に貢献していることがあるんだって。



こんな感じで牛が飼われていたというイメージ。

明治の初期において。バターとして?牛乳として?
馴染みのない「牛乳」を、どのように日本人に食べてもらうつもりだったのかな、クラーク先生は。



【明治33年頃?の札幌農学校第2農場】

北海道大学札幌キャンパスの北に位置する「札幌農学校第2農場」は、1909(明治42)年から1912
(大正元)年にかけて整備されたもので、その近代的な大規模有畜農場経営は、北海道における大規
模農場のモデル的役割を果たした。

畜産としては畜牛を主に、常時100頭前後を飼育して搾乳・製酪を行い、農産としては飼料作物を多
く栽培した。
農作業は人力を省き、西洋式農具を用いた畜力によるもので、指導者の養成や農業技術の向上にも寄
与し、酪農発達史上重要な位置を占める。




新緑が鮮やかな北海道大学のキャンパスで。
今日まで、開拓時代の名残を示し続ける札幌農学校第2農場。
大都会に残された開拓の足跡をたどって歩くのは、面白いね!

【参考:札幌農学校第二農場サイト】
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Posted by 「とうちゃん」 at 21:06Comments(0)北海道開拓に思いを馳せる

2016年05月17日

北海道発展の礎 旧開拓使工業局庁舎



時は明治6年。

北海道を発展させるために不可欠なもの。
道路・橋梁・官庁・学校などの施設をはじめ、家財、機械や農具
車両などの製造事業を行い、今日の北海道の礎を築いた。

それが「開拓使工業局」。





開拓使工業局の庁舎は、派手なカラーリングが印象的な明治初期の洋風事務所建築の特徴をよく示
している。
白をベースに緑と黄色のポイントが、非常に鮮やかだ。

開拓使関係庁舎としては現存する唯一のもの。
建物は、明治10年に札幌市街中心部に建設され、昭和54年に北海道開拓の村に創建時の姿で移築さ
れた。

工業局営繕課の設計業務の実態を示す建物として歴史的に高い価値が認められている。
札幌市時計台より古い時代に建てられた貴重な建築物だけど、知名度に関しては、あまり高くないの
は、どうしてだろう。



【明治中期の札幌市中心部の模型】

左上に「開拓使札幌本庁舎」、中央に「札幌農学校」、そのすぐ
南に建設中の「豊平館」。創成川を東に渡り、現在の札幌市中央
区大通東2丁目に工業局所管の工作場がある。


木材の貯留池などが設置され、広い敷地を有していることがわかる。



【工業局の工作場 模型】

写真左上にある、白い建物が「工業局庁舎」。

開拓使工業局では、当時の先進技術を有した外国人技術者を招いて、西洋
の進んだ技術
を取り入れた。
器械所では、水車をまわしてノコギリを動かし材木を加工してたが、これは当時の先端技術の一つ
だった。

開拓使工業局の業務として、官営工場を経営し家材、機械、農具、車両などの製造事業も行ってい
た。



【建物内部の資料展示】


【玄関ホール兼階段室】


【庇のテントが付いた窓】

熱意だけでは、北海道の厳しい自然の中で暮らすことは困難だ。
明治初期の日本国に必要とされていた新産業とエネルギー。
これらを生み出すための、軸の一つとなったていた開拓使工業局。

そんな情熱に思いを馳せつつ。



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Posted by 「とうちゃん」 at 06:46Comments(0)北海道開拓に思いを馳せる

2016年05月15日

木造から赤レンガ 開拓使から北海道庁へ


【旧開拓使札幌本庁舎】

札幌時計台を眺めていたら。

他の旧開拓使時代に作られた建物も見たくなっちゃった。
今日も真面目に観光する「とうちゃん」です。




【明治6年 札幌古地図】

明治6年(1873)に建てられた旧開拓使札幌本庁舎の建物は古地図のとおり、現在の北海道道庁
構内を含む、東西に西4丁目から西8丁目まで、南北に北1条から北6条までを敷地と定めて
設置されたことがわかる。

この時期には、札幌農学校も豊平館も記載されていない。
できたてホカホカの札幌市だ。


だだっ広い土地に、鮮やかで巨大な建物が誕生した当時を想像すると、人々の驚きと興奮を理
解することも難しくない。

しかしながら、せっかくの建物も、建築から築5年目の明治12年に焼失。
開拓の村に展示してある旧開拓使札幌本庁舎は、1998(平成10)年に外観復元したもの。



白をベースに、鮮やかな緑色のラインが走る建物。
色、形ともに、当時の札幌市では、輝かしい未来を感じさせるデザインだったのだろう。

今の時代に生きる「とうちゃん」が見ても、斬新なデザインだと思う。
むしろ、今の時代だからこそ「役所がこんな派手な建物に!」って思うのかな?





築5年で焼失した旧開拓使札幌本庁舎の後は。

1882年(明治15年)開拓使は廃止され、3県1局時代をへて、1886年(明治19年)
新たに北海道庁が設けられ、本庁舎は1888年(明治21年)に完成。
これが北海道の代名詞と言っても過言ではない「赤レンガ」。




明治時代に作られたアメリカ風ネオ・バロック様式の建築。

ひずみのあるガラスや、寒さ対策の二重扉が設置されている。
使用されたレンガは、その数250万個が使われたんだって。
館内は一般に無料公開され、北海道の歴史をたどる資料が展示されている。
1969年(昭和44年)には国の重要文化財の指定を受けた。

感じたこと。
当時の北海道開拓に対する日本の熱意。
莫大な知識と金をつぎ込まれた上に成り立つ北海道。
知れば知るほど、オモシロいね!



【参考 北海道庁HP、北海道開拓の村HP】

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Posted by 「とうちゃん」 at 07:14Comments(0)北海道開拓に思いを馳せる

2016年05月14日

札幌の街を見守り続ける時計台 道民との相思相愛


【札幌時計台と「とっとちゃん」】

創建以来、130余年この地にあって。
札幌の街の歩みと市民生活の変化を見守り続けてきた札幌時計台。
正式名称は「旧札幌農学校演武場」。


三角屋根の上に大時計を載せた、特徴的な外観が可愛らしい建物。
大きな時計と建物の大きさがアンバランスな気がするのは「とうちゃん」だけかな?





札幌市民憲章前章には「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民で
す」
と詠われている。

時計台は札幌市のカントリーサインのデザインとしても使用され、札幌市の代表的な建物である
ことは疑いがない。
さらには、北海道民への潜在的な定着度は、北海道の象徴と呼んでも過言ではないだろう。




時計台は、北海道大学の発祥の地という側面を有している。

北海道大学の前身である札幌農学校は、北海道開拓の指導者育成を目的とし、初代教頭となった
クラーク博士らの教師陣を迎えて、1876(明治9)年開校。

札幌農学校の開校式で演説したクラーク博士は、「be gentleman! 紳士たれ!
の一語に尽きる。やかましい校則はいらない。全て自己の良心に
従って判断行動し勉学に励みなさい」
と訓示したとか。



【明治22年 札幌市古地図】


【札幌農学校 模型】

札幌農学校は、古地図のほぼ中央部、現在の北1条西2丁目と北2条西2丁目にあった。

演武場(時計台)は、農学校生徒の兵式訓練や入学式・卒業式などを行う中央講堂として1878
(明治11)年に建設。

演武場は農学校生徒にとって、新たな学業生活への一歩を踏み出す場所であり、また4年間の学
業を無事に終了し学位の授与を受けて社会へ巣立つ晴れの場であった。




完成当初の演武場に時計塔はなかった。
演武場の完成式に出席した黒田清隆開拓長官の指示で、塔時計の設置が決まったと言われている
のは有名な話。

塔時計は、アメリカのハワード時計商会に塔時計を注文されたが、札幌に到着した時計機械が予
想以上に大きかったため、鐘楼に設置することができず、時計塔を造り直し時計機械が据えつけ
られた。

時計台は、札幌のシンボルとして、今でこそ大切に管理されているけれど。

かつては時計台の価値が十分に理解されず故障しても放置されていた時代があった。
長期間、止まっている時計を見るに見かねた時計屋の井上清氏は、ボランティアで保守整備を行っ
たんだって。



【時計台の模様替え 過去の壁の色がよく分かる】


【時計台 玄関たる木】

時計台は、その時代によって、様々なお化粧を施された。
クリーム色、オリーブ色そして白色などなど・・・。

「とうちゃん」は、最後の白色の時計台しか見たことがないけれど。
当時の開拓使のセンスなら、オリーブ色が一番しっくりくる気がするね。




時代を超えて愛され続ける札幌時計台。
これからも、ビルの谷間で札幌の街を見守り続けるんだろうね。


【参考:札幌時計台HP】

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Posted by 「とうちゃん」 at 06:14Comments(0)北海道開拓に思いを馳せる