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2011年11月12日
過去に通じる栄光の扉「道路元標」を調べてみた
【道路元標】
なんて切ない言葉の響きだろう・・・
存在の感じ方は、人それぞれ。
「道路元標」を路傍の石と思う人もいれば、宝物のように愛でる人もいる。
「とうちゃん」は、間違いなく後者に属する人間だ。
道路元標が「とうちゃん」の生活に与えた影響は計り知れない。
日本の道路元標は大正9年施行の旧道路法施行令によって、
東京市を始めとして、全国の市町村に各1個が設置された。
道路元標の施設総数は当時の市町村数に等しく12,244基。
その後は道路拡幅や都市開発、バイパスなどの開通などによって多数亡失、 現存する数さえ把握されていない。
現行の道路法(昭和27年施行)では、道路元標は道路の附属物とされているだけで特段の規定はない。
そのため道路の起終点は、道路元標と無関係に定められており、その設置義務や設置の目的が失われた。
函館市にも、「道路元標」らしきものがあるけれど、これが結構面白い。

もちろん国道には、起点と終点がある。
では、どういう基準で起点と終点が決まるのか?
地方都市と地方都市を結ぶ国道は、目的等を考慮しつつ、概ね大きな都市が「起点」となるケースが多い。
道都である札幌に至る道路は、基本的に札幌が起点になる・・はずだけど。
国道5号。
起点は函館にある。
言葉を付け足すと、函館を経由して東京を目指している。
それが一桁国道(1号〜9号)というものだ。
ちなみに旧道路法時代には、国道4号(現在の5号)以外にも東京に続いている国道があった。
東京から第7師団に通じる道「国道43号」
それが現在の国道○号と○号を指しているのかは、後日のブログのネタにするかな。
この話にも、けっこう面白い歴史が隠されている。

現在、モニュメントとなっている函館市の「道路元標」っぽいものは、JR函館駅の向い、
国道5号、278号、279号の起点の中心に埋められている「道路元標」のレプリカだ。
これが設置されたのは、新道路法が施行された昭和27年のさらに翌年。
つまり、旧道路法によって設置された「道路元標」ではない。
そして旧道路法によって、大正9年に函館市に設置された「道路元標」は、
東京から札幌市に至る旧国道4号の北海道における起点「旧桟橋」にあった。
この「道路元標」、現存するのかについては未確認。
このブログを書き終えたら、さっそく自転車で行って探してみようと思っている。
無いとは思うけど、見事に見つけられたら・・・ロマンだね。

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なお、函館市の基坂にある(あった?)「元標」は、
道路の起点ではなく里数を計るための元標であることを「とうちゃん」は、あえて強調したい。
そして、北海道とは関係がないけれど!



辛抱できなかったので「日本国道路元標」を見に行ってみた!(昔にね。)
日本橋の中央にあった道路元標は、東京都電本通線の架線柱として使用されていたが、
都電廃止後1972年の道路改修に伴い日本橋の北西側袂に移設された。
そして東京市道路元標があった場所には、50cm四方の日本国道路元標が埋め込まれた。
その文字は佐藤栄作によるものである。
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Posted by 「とうちゃん」 at 06:35│Comments(0)
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