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とことん遊ぶぞ 北海道! › LOVE 函館 › 歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた

2011年08月20日

歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた

歴史ある町の古い地図を眺めることは、とっても楽しい。


近代化された建物になるの前の姿を発見したり、意外な施設が意外な場所にあったりする。

長い時間の中で、いつの時代でも同じ場所にあり続けるということは難しいと思う。
いつの時代の古い地図を開いてみても、いつの時代でも変わらずそこにあるものがある。

そんな建物の一つ「亀田八幡宮」に行ってみた。



歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた
【亀田八幡宮本殿】
祭られている祭神は、武運の神「誉田別命(ほんだわけのみこと)」


亀田八幡宮の簡単な歴史は、以下のとおり

1390年頃、八幡大神の御分霊を当地に奉遷した事に始まる。
松前藩4代慶広が松前藩の祈願所に定める。
1603年に本殿拝殿(現神輿殿)を建立。
1869年戊辰戦争では、榎本武揚・大鳥圭介等が当宮神殿で降伏を誓約。


歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた

神社の入り口を示す、石の鳥居は松前藩最後の函館奉行「工藤茂五郎」の名前が刻まれている。
想像だけど、この鳥居の位置は、相当な昔から変わっていない気がする。


歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた
【天・地・人 文久2年 函館中央図書館蔵】

こちらの降る地図を見てもわかるとおり、亀田八幡宮は旧亀田川沿いに鎮座していた。
現在、亀田川は切り替えられており、その流れを確認する事はできないが、
流れの痕跡を残す足跡は残されている。

歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた


これは想像でしかないけれど、
この石橋が古い地図にも書かれている八幡宮に通じる橋なのかな。
というか、それ以外の理由で、この場所に橋がある必要がないし。


歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた


なにげに置かれている「狛犬」
刻まれている文字は「石方親分 喜三郎」・・・・
どこの「喜三郎」かは、分からないけれど、
「弁天台場」「五稜郭」の石工を担当した「井上喜三郎」だろう。

使用されている石材は「五稜郭」と兄弟分になるのかな?



函館市内の神社巡りをしていると「喜三郎」の名前を、たまに見かける。
【函館「喜三郎」巡りの旅】なんて企画してみるのもオモシロいかも。



歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた

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歴史溢れる「亀田八幡宮」に行ってみた

【神輿殿 (旧社殿)】

箱館戦争において、旧幕府軍の「降伏の儀式」に使用されたことで有名な場所。
400年の歴史が刻まれた威厳に溢れる社殿は、必見だろう。
また建物には、おそらくは箱館戦争の時代のものであろう、無数の弾痕の跡が残されている。


五稜郭公園から徒歩で15分。
観光地からも離れてしまい、ちょっと訪れにくいけど「箱館戦争終焉の地」としても
是非見ておきたいところではないだろうか。


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Posted by 「とうちゃん」 at 06:57│Comments(0)LOVE 函館
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