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2011年06月11日
函館八幡宮に行ってみた

文安2年(1445)、まだ函館が「宇須岸(ウスケシ)」と呼ばれていた頃から。
亀田郡の領守「河野加賀守政通」が、函館に館を築いた時、その東南の隅に八幡神を祭ったのが始まり伝えられ、
現在の元町、公会堂前あたりであったと言われている。
その後、赤川村、凾館元町、会所町の遷移した後、明治13年更に谷地頭に奉遷申し上げ現在に至っている。


「函館八幡宮」と彫られた石柱に「東郷平八郎謹書」の文字が刻まれている。
東郷平八郎。
明治時代の日本海軍の司令官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献。
日本の国際的地位を世界の大国の一員とするまでに引き上げた人物。
そのような人物の謹書がある事自体、この神社が有する格を表しているのでは?
ちなみに、大灯篭には「渡邊熊四郎」が刻まれている。
氏は、金森商船の2代目の熊四郎らしい。

現社殿は、大正7年に完成したもの。
美しい曲線を描く屋根が、すばらしい。
函館八幡宮では、八幡神に加えて住吉大神と金刀比羅大神が祭られている。
これらの神は、船乗りから信仰を集める神で、海上守護や大漁を授ける神。
御祭神は往古より日本民族の祖神、開拓、航海、漁業の守護神として御神徳広大無辺である。
とくに御鎮座以降北海道開拓については、神威の発揚ことに顕著なるものがあり、
只に函館地方のみに留まらず、札幌開拓に関係し又石狩八幡神社、小樽住吉神社、室蘭八幡宮、
歌登八幡神社等は当宮より勧請し、かつては樺太に至るまで御奉斎申し上げ御縁故の神社は頗る多かった。
(HP 函館八幡宮 参考)
そして、この事実に驚いた。
石狩八幡も、小樽住吉神社も相当の歴史と格式のある神社と思っていが、
まさか、ここ函館八幡から勧請されていたなんて。
さすがは函館だ。
奥が深すぎる。
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Posted by 「とうちゃん」 at 05:57
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