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とことん遊ぶぞ 北海道! › 北海道のイベント! › 「そらち炭坑の記憶」のフットパスに参加してみた

2010年10月13日

「そらち炭坑の記憶」のフットパスに参加してみた

縁があって「そらち炭坑の記憶」のフットパスに参加してみた。
これは閉鉱された炭坑の資産を有効に活用し、まちおこしを考えるというものだ。
これだけを聞く分には「廃墟マニアっぽいイベントだなぁ」と思うかもしれない。

「すっごく面白かった」。

迫力が違う。わびしさが漂う。胸に迫る。歴史は今でも生きていることを実感する。

フットパスに参加する前に、まずは「旧山田御殿」で腹ごしらえをした。
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この建物は、わざわざ山田さんという売炭などを営んでいた社長が、
秋田から秋田杉を取り寄せて建設したものらしい。
現在は蕎麦屋となっている。
建物の豪勢さ、外からではメニューがわからないため、なかなか入りにくい感じがする。
もりそば750円、天ぷらそば1300円、鴨南蛮そば1500円等々。
ちょっと高めの値段設定だが、当時の社長宅を訪ねた気分に浸ってみるという付加価値付きだ。



赤平駅のホーム。この跨線橋?は、昔のままらしい。
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ちなみに赤平駅。全盛期には大阪梅田を抑えて、全国一の輸送量を誇った時期もあるらしい。
わずか数十年で全国一、そして急速に衰退。
ここも時代に振り回された北海道っぽいところだ。


以前、住友赤平炭坑で炭鉱マンだったガイドさんが案内してくれた。
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赤平の町の中には、フットパスルートに沿ってこのような案内看板が設置されている。
この看板に掲示されている昔の写真と現在の写真を比べながら歩くのは大変おもしろい。
「社宅の近くの酒屋は繁盛した」「この飲み屋街では、よく喧嘩した人がいた」
と語ってくださるガイドさんの話には、血が通っている。


現在の「開礦橋」からみたズリ山。
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この場所には、写真にあるような「輪車路」があったそうだ。
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「輪車路」をとおって選炭場まで、石炭を搬出していたらしい。



「住友赤平小学校」最盛期には3000人もの生徒が在学していたが、現在は80人ほど。
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わずか数十年で、これだけ生徒数に変化が生じている。
校舎の一部は資料館として活用されている。入場は事前予約が必要。


当時の活気と人々の濃い繋がりを結んだ長屋は、取り壊されてすでに存在しない。
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今更ながら非常に残念に思う。


ちなみに暖房について、産炭地であったが、コンクリート住宅が普及するにつれ、
その便利さから石油を使用していたとのこと。
昭和40年代で住居費、暖房費等あわせて800円だったらしい。


炭坑が最盛期の赤平市では、炭坑で直接的に働いている人間は63%、
間接的に働いている人も含めると、ほとんどの人が炭坑関連で働いていたと言うことができるだろう。


道を歩いていると、大山祗神社へつながる道がある。
正月の初詣時には、大変混雑をみせたらしい。
この道沿いには課長などの上級職員が住んでいて、初詣時には玄関に酒などが置かれ、
炭鉱マンたちは勝手に飲み食いしながら初詣に向かったとか。


いよいよ「住友赤平立坑」。
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左側のコンクリート舎の窓から木が伸びている。
「この寂れ方がたまらない」と唸る人もいるらしい。
普段は開放していないが、イベント等の開催状況に応じて内部を見学することができる。

この立坑の建設費は、現在の金額換算で250億円程度らしい。
1100m付近までの石炭層を確認できたので、1115mまで掘削できるような作りになっている。
実際の炭坑延長は200km、漆黒の闇の中に200kmもの通路。

闇のなかで、天井の軋みとガス、水に怯えながら働き続ける。
本当に命がけの仕事だ。
生き続けるには、自分の能力だけでは足りない。
炭鉱マン達は、迷信も大事にしていた。
「口笛をふかない」「出産の穢の内は入鉱しない」「夢見が悪い時は休む?」


道路をはさんで向こう側に見えた寂れた建物が「坑口大浴場」
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立坑とは地下トンネルで繋がっている。



立坑エレベーター前で説明を頂いた。
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人が昇降するゲージは4段×18人で72名が一度に昇降でき、コレが2基設置されている。
この昇降機の速度は、分速720m。
地下に潜るときにも耳がキーンってなるのかな?聞きそびれた。



坑内で使用されていた「ピック」等を実際に動かしてもらえた。
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ものすごい大きな音だ。これだけでも耳がキーンとする。
実際の坑内は声が聞こえるような場所だったのだろうか。
坑内では当然だが火気厳禁。
動力は圧縮空気か電気。
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コチラのドリルとブルドーザっぽいのは電気が動力。


「自走枠」天井等で支えつつ、大型のドリルで石炭を掘り進んで行くらしい。
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バラして坑内に持ち込み、地下で組み立てる。
1ヶ月ほどの組み立て期間がかかり、4,5か月で作業終了し、1か月かけて運び出すらしい。


炭鉱内に設置されている避難設備。
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もちろん、一人ずつ酸素ボンベを担いでいるが、事故が発生した際に逃げられなくなった時には、
この黄色いビニールをかぶり救助を待つ。
ガイドさんも、炭坑で事故が発生した際に、救助隊として炭坑に入り、
ここで待機していた人を実際に救助した。
その際には、3名死亡し、内1名は身近な後輩だったとのこと。

本当に死と隣合わせの仕事。
明日も生きている保証がない。

それゆえ、坑内において経験者、上下関係は非常に厳しい。
上の言うことは絶対だ。
だからこそ、地上では酒を飲んでは、文句が爆発して喧嘩も多かったらしい。


このような労働環境が炭坑基質を産んでいったのだろう。
まさに無形の産業資産だ。


たった130年ほどの間に北海道は、ものすごい速さで開拓されてきた。
間違いなくその原動力となった炭坑開発。
厳しさ、悲しみ、喜び、活気があった。

いつもは通りすぎる国道38号。
わずか数十年前に、こんなドラマがあったことすら知らない自分に反省だ。


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Posted by 「とうちゃん」 at 05:30 │北海道のイベント!

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