金森赤レンガ倉庫に行ってみた

「とうちゃん」

2011年07月16日 06:32

函館市でも、もっとも有名な観光地の一つである「金森赤レンガ倉庫」に行ってみた。

というか、休日の朝のサイクリングロードに組み込まれているエリアで「とうちゃん」の庭とも言える地域だ。







大型バスが通る表通りではなく、細い海岸通を走るのが好きで、
特に気に入っているのが「七財橋」から見下ろす赤レンガ倉庫群と運河だ。







金森赤レンガ倉庫の歴史は、渡邊熊四郎が金森洋物店を開業した1869年(明治2年)まで時に遡る。

24歳の時に長崎から函館にやってきた熊四郎は、旧金森洋物店・旧金森船具店で輸入雑貨や船具の販売を始めとし、
洋服仕立て、靴職人を東京から呼び店を持たせ、砂糖を販売して外国商人を駆逐し、時計店も開業、
眼鏡から気象器機まで取り扱った。その他回船・倉庫など、店舗だけで10数店を設け、
明治20年代には、北海道随一の大商店を経営し、函館四天王の一人として近代函館の礎を築き上げた。



そして熊四郎は、自家の商売だけではなく、町のため、社会のためになる事業を計画し、
公共福利のためには多大の寄付を惜しまなかった。

書店を開き、新聞縦覧所を併せ設け、魁文舎と称した。
小学校の設立を企画し、内澗学校を開設
自ら創刊を努め、明治11年1月函館新聞を発刊。
函館公園造設に際しては1000円(当時)を寄付
明治10年には、10名の同士と、貧困者のために鶴岡学校を開設
明治11年、資金の募集に奔走し、豊川町に病院を設立(後の第一公立病院)
明治14年、平田文右衛門・今井市右衛門と函館器械製造所を設立、後に函館船渠株式会社に譲り渡す。

函館のために、学校や病院の建設、公園や水道施設の整備等、多くの公共事業に私財を投じた人物。


ちょっと調べて思ったけど、この有名人の足跡をたどるツアーも面白いかもね。
函館の子供達の夏休みの自由研究にどうかな?



そんな熊四郎が残した足跡の中で、今もっとも有名なのが、この倉庫だろう。

函館の倉庫史について、もっと知りたい方はコチラ(函館市史 )を読んでね。





倉庫街深くまで、水路が巡らされている。
やはり、ここが倉庫街だったんだと確認できる風景。








潮風のせいだろうか?ちょっとだけ痛んでいるレンガに歴史を感じ。

倉庫の基礎は、ちょっと疲れ気味だけど、不動の精神で倉庫を支えている感じ。

後の時代に無理矢理設置された配管の、やんちゃっぷりも。

倉庫が函館に生き続けた歴史を感じさせてくれる。




倉庫の中は、レンガの肌をむき出しにした渋い造りもあれば、
時には歴史を感じる事が無いほどリフォームされているところもある。

観光地というよりもショッピングモール?と思えるところも多く、
函館や道南のメジャーな特産品だけではなく、シャレた洋服や小物など買い物を楽しむ事もできる。





やはり「金森赤レンガ倉庫」は函館観光からは外せないでしょ。



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