北海道護国神社に行ってみた

「とうちゃん」

2011年02月11日 09:23

この記事にはリメイクがありますので、そっちもみてね。





















夕暮れの北海道護国神社に行ってきた。
夕日に照らせれる本殿は、たまらなく美しく、
神々しさに溢れ、しかも艶っポイ?


思わず撮った写真は、まれに見るほど
素晴らしいものだった。

これも、普段の善行?の賜物と言えよう。


北海道護国神社は、戊辰戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る英霊が祀られ、祭神は63,141柱におよぶ。
この神社を「旭川護国神社」と呼ぶ人がいるが、北海道の護国神社のBOSSは、ここである。
なお、初詣客数は県社格の上川神社を凌ぐ。

治35年(1902年)5月5日・6日の両日に第一回招魂祭を執り行ったのが「北海道護国神社」の始まり。
明治45年(1912年)5月に本殿建物が建設される。
大正5年(1916年)それまで第7師団管理招魂社であったものを北海道招魂場と改める。
昭和10年(1935年)北海道招魂社に社号を変更する。
昭和14年(1939年)指定護国神社となり、北海道護國神社と改称。
昭和21年(1946年)神社はGHQの目を逸らすため社号を「北海道神社」に変更する。
講和条約締結の運びとなった昭和26年(1951年)に旧名に復し北海道護國神社と改める。


(参考 Wikipedia)



北海道護国神社入り口。
長いこと旭川に住んでいたが、お参りに来たのは初めて。




境内を歩いていると「樺太国境標石」を発見した。
旭川に師団が置かれた目的の一つとしてロシア対策があり,日露戦争以来の英霊が眠っている境内に
樺太のモニュメントが置かれているのは、非常に意義深い。





本殿に向かう参道。

小さな橋が見えるが、これは人工的に作られた池を渡る橋。
この池は昭和の始めのころ、第7師団の工兵隊により作られた。
向かって左側に当時の日本国の領土であった「南樺太」、右側には北海道を形取り作られた。

でも、通っただけでは、せっかくの池の形も分からないな。
ちなみにグーグルマップでみても、木が邪魔で形を確認できなかった。






南西向に向いた本殿は、夕日に良く映える。
ちなみに、なんで南西に向いているんだろう?
樺太の方を向いていても、おかしくないような気がするのに。

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