札幌の街を見守り続ける時計台 道民との相思相愛

「とうちゃん」

2016年05月14日 06:14


【札幌時計台と「とっとちゃん」】

創建以来、130余年この地にあって。
札幌の街の歩みと市民生活の変化を見守り続けてきた札幌時計台。
正式名称は「旧札幌農学校演武場」。


三角屋根の上に大時計を載せた、特徴的な外観が可愛らしい建物。
大きな時計と建物の大きさがアンバランスな気がするのは「とうちゃん」だけかな?





札幌市民憲章前章には「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民で
す」
と詠われている。

時計台は札幌市のカントリーサインのデザインとしても使用され、札幌市の代表的な建物である
ことは疑いがない。
さらには、北海道民への潜在的な定着度は、北海道の象徴と呼んでも過言ではないだろう。




時計台は、北海道大学の発祥の地という側面を有している。

北海道大学の前身である札幌農学校は、北海道開拓の指導者育成を目的とし、初代教頭となった
クラーク博士らの教師陣を迎えて、1876(明治9)年開校。

札幌農学校の開校式で演説したクラーク博士は、「be gentleman! 紳士たれ!
の一語に尽きる。やかましい校則はいらない。全て自己の良心に
従って判断行動し勉学に励みなさい」
と訓示したとか。



【明治22年 札幌市古地図】


【札幌農学校 模型】

札幌農学校は、古地図のほぼ中央部、現在の北1条西2丁目と北2条西2丁目にあった。

演武場(時計台)は、農学校生徒の兵式訓練や入学式・卒業式などを行う中央講堂として1878
(明治11)年に建設。

演武場は農学校生徒にとって、新たな学業生活への一歩を踏み出す場所であり、また4年間の学
業を無事に終了し学位の授与を受けて社会へ巣立つ晴れの場であった。




完成当初の演武場に時計塔はなかった。
演武場の完成式に出席した黒田清隆開拓長官の指示で、塔時計の設置が決まったと言われている
のは有名な話。

塔時計は、アメリカのハワード時計商会に塔時計を注文されたが、札幌に到着した時計機械が予
想以上に大きかったため、鐘楼に設置することができず、時計塔を造り直し時計機械が据えつけ
られた。

時計台は、札幌のシンボルとして、今でこそ大切に管理されているけれど。

かつては時計台の価値が十分に理解されず故障しても放置されていた時代があった。
長期間、止まっている時計を見るに見かねた時計屋の井上清氏は、ボランティアで保守整備を行っ
たんだって。



【時計台の模様替え 過去の壁の色がよく分かる】


【時計台 玄関たる木】

時計台は、その時代によって、様々なお化粧を施された。
クリーム色、オリーブ色そして白色などなど・・・。

「とうちゃん」は、最後の白色の時計台しか見たことがないけれど。
当時の開拓使のセンスなら、オリーブ色が一番しっくりくる気がするね。




時代を超えて愛され続ける札幌時計台。
これからも、ビルの谷間で札幌の街を見守り続けるんだろうね。


【参考:札幌時計台HP】


にほんブログ村

関連記事