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2015年08月29日
北海道護国神社と旧第7師団の足跡
夕日が本殿を照らす瞬間。
天候に恵まれた、ほんのひとときだけ見ることができる景観ってあるよね。
今日は、偶然にもそんな素晴らしい景色に出会うことができたお礼?に、北海道護国神社に
ついて調べてみよう。
こんにちは。「とうちゃん」です。
何気に撮影した写真だけど、たま〜に撮れるんだよね、こういう写真。
普段の善行の賜物?神様からのプレゼント?
北海道護国神社は、戊辰戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る英霊が祀られ、祭神は63,141
柱におよぶ。
地元の方には、この護国神社を「旭川護国神社」と呼ぶ人がいるが、これは間違い。
ここは「北海道護国神社」。北海道の護国神社の元締めである。
【屯田兵舎(旭川博物館蔵)】
現在の第7師団が千歳市にあるのに、「なんで旭川市に?」って思うよね。
もともと第7師団は大日本帝国陸軍の師団の一つで、あの永山武四郎が初代の長官だ。
鎮台を母体に編成された道外の常設師団とは異なり、屯田兵を基礎として、北海道に置かれた常備
師団で北辺の守りを担う重要師団であり、「北鎮部隊」とも呼ばれていた。
歴史と旅行がつながる瞬間が快感でもある「とうちゃん」です。
【旧第7師団の看板と残された正門】
精鋭第7師団の悲劇とも言えなくない歴史について少々。
1904年、日露戦争に出征。あの歴史に名高い旅順攻略戦・奉天会戦に参加する。
旭川を愛する「とうちゃん」としては、「坂の上の雲」を読んで、第7師団の苦労を少しでも感じて
欲しい気持ちでいっぱいです。
1917年から2年間、満州に駐屯、シベリア出兵に参加。
1939年のノモンハン事件では、師団の一部が出動しソ連軍と交戦、師団主力も増援部隊と
して動員。
1942年、一木支隊が編成されミッドウェー島からガダルカナル島へ。
さらには北海支隊を編成してアリューシャン列島のアッツ島へ派遣。
どの戦場をみても激戦地、地獄と呼ぶのにふさわしい戦場に派遣されてきた第7師団。
そんな第7師団の歴史の一端を垣間見ることができる「北鎮記念館」。
嬉しいことに入場は無料で、駐車場も完備。
たまには、こんな苦難に満ちた郷土史を勉強するのもいかがですか?
※この記事は、2011年2月11日に書いた記事のリメイクです。
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Posted by 「とうちゃん」 at 05:13│Comments(0)
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