「日露友好の碑」から垣間みた函館と高田屋嘉兵衛

「とうちゃん」

2011年11月11日 06:13



函館山を背景に、一人遠くを見つめる「高田屋嘉兵衛」。
その目で見つめているものは、函館の未来?商いの道?それとも未だ見ぬ広い世界か。





「高田屋嘉兵衛」の見つめる先にある石碑は「日露友好の碑」「高田屋屋敷跡」
一見して、何も関係が見いだせないこの石碑を調べてみると、なかなか面白い歴史にたどり着いた。





歴史の教科書にも掲載されている「ゴロウニン事件」をご存知?

鎖国を理由に通商を断られたロシア使節団が武力行使で日本側に通商を認めさせようと、
ロシア本国の許可も得ずに、民間船二隻に命じて択捉島の日本人部落を襲った。
その件とは無関係?たまたま蝦夷の地理を調査中であったゴロウニン艦長率いるディアナ号が
国後島で水・食料の補給を得ようと上陸した時、日本の警備隊がこれを逮捕した。
艦長を失ったディアナ号は、偶然?近くを通りかかった高田屋嘉兵衛の船を捕らえ、カムチャッカへ連行した。
捕らえられた高田屋嘉兵衛は、日露両国に対して粘り強く交渉を行い、
ゴロウニン釈放に至り平和的に両国の和解を成し遂げた。



たまたま捕われたのが、一代で巨万の富を築き上げた高田屋嘉兵衛だったのが、出来過ぎな気もするけど。
英雄が時代を作るのか?時代を作ったから英雄なのか?



この事件の主人公の一人「ゴロウニン」は、日本で2年3ヶ月もの監禁生活を余儀なくされた。
函館で収容された獄舎は、野原の高台の上にあり、
窓からは津軽海峡の一部や、その対岸の日本本土を見ることができたという。

・・・・・??
これって何処?


と、言う事で調べてみた。



「文政頃 [築島出来、同島ノ一部高田屋金兵衛持場とあり] 函館図書館蔵」


最初は「日露友好の碑」がゴロウニンが監禁された牢跡地と考えていたけれど、
この地図と、函館市史に書かれているゴロウニン事件から推測するなら、もう少し函館山よりなのかな?


・・・なんて、勝手に想像するのが、「とうちゃん」的函館観光の楽しみの一つ!




【高田屋金兵衛資料館にあるゴロウニン胸像】

鎖国時代の日本において、庶民と接した数少ない異国人の一人「ゴロウニン」。

函館に50日ほど監禁されていた彼が、日本人の事を下記のように書いて残している。

「我々が通過した村々では、隊長も村民も概して我々に親切にしてくれた。
村に入る時や、また出発の時は何処でも我々を見ようとして集まった老若男女に取り囲まれた。
しかし誰一人として我々に屈辱を加えたりあざ笑いしたりする者はなく、皆およそ同情のまなざしで見、
中には心から憐憫(れんびん)情を浮かべる者もあり、ことに女たちにそれが多かった。
我々が喉の渇きを訴えると先を争って世話をしようとした。
我々に何か御馳走したいと護送兵に願い出る者が沢山いて、許可を得るや否や、
酒や菓子や果物やそのほか何かと持って来てくれた。
隊長たちも一再となく上等のお茶と砂糖をよこしてくれた」

日本俘虜実記(上)講談社

また、その鋭い洞察で、以下のように日本人を評価している。

日本人が論争をする時の特徴として、反論する際には正面きってあからさまには言わずに、
遠回しに、例を挙げたり比較を出したりする。
弱気の時には、横柄に迫ってくるが、強気の時には、一歩引く対応を見せる日本人。
日本人の学問の高さは、他の国と比較すると、私の意見では、日本人は天下で最も教養のある国民である。
日本には読み書きの出来ない者や、自分の国の法律を知らない者は一人もいなかった。



えっと、この時代の箱館。
読み書きできない人や法律を知らない人がいなかったんですか?
っていう事に驚いてみた「とうちゃん」でした!

本ブログは、函館市史 第3章 第8節「ゴロウニン問題と高田屋嘉兵衛」を参考にしています。






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