気になるなぁ〜サメの神様と「佐女川神社」

「とうちゃん」

2011年10月01日 05:50

土地の神を祀る神社に多い気がする。

神様が夢を通じて人々に恵みを与える伝説。
その恵みに感謝を捧げるために、村では祭りを行い、恵みに感謝する。


そんな伝説と祭りが残されている、木古内町「佐女川神社」を訪れてみた。





【佐女川神社について】

神社の本殿は新しいけれど、創建は1625年(寛永2年) と伝えられている歴史ある神社。
玉依姫命を主神として高皇産霊神、神皇産霊神、倉稲魂尊が祭られている。

今はどうなっているのかな?円空が1665年頃置いていった、観世音菩薩坐像が御神体として祭られていたらしい。











賽銭箱に刻まれている「丸に割菱」は、松前家の家紋。
松前家と武田家の関係を、改めて感じる事ができる。

本殿は新しくなっても神社の境内には、確実に歴史を感じる遺物も残されている。



そして佐女川神社が有名な理由は、歴史があるだけではない。
日本最北の水ごりで知られる「寒中みそぎ」が、寒さが厳しい1月15日に行われるからだ。




【寒中みそぎの由来】

1831年1月15日の早朝、「御神体を潔めよ」と佐女川神社の神主の夢枕にお告げがあり、
神主は、神社の真下を流れていた佐女川で氷を砕き、自分の体を清めた。

河口には、波に打たれた大鮫、その背中の上には白衣を着た美しい女性の姿があったという。

神主は、御神体とともに何度も極寒の海へ沐浴した。

しかし神主が気づいた時には既に女性の姿はなく、大きな鮫は川を上り上流の佐女沼に姿を消した。

その後は、村の豊作豊漁が続き、天保の大飢饉を乗り越え、木古内町は賑わいを見せた。



近年は「木古内寒中みそぎ祭り」として、町を挙げた一大行事として催行されている。

この「寒中みそぎ」で御神体を潔める行修者は、四年間で四つの役を担い、担当するご神体を清める役を担う。
行修者を努める4年間は、たとえ故郷を離れていても、祭りの日には必ず帰省しなければならない。
極寒の地で行われる「寒中みそぎ」だけど、4年間脱落する者は誰もいないらしい。


初年度は弁財天を、
二年目は山の神(大山津見神(おおやまづみのかみ))を、
三年目は稲荷(宇迦御魂神(うがのみたまのかみ))を、
最終の四年目は別当(べっとう)を務め、お清めするご神体は佐女川神社の主祭神である玉依姫命を禊ぐ。





はい。
「とうちゃん」的に注目したいのは「大きな鮫」と「白衣を着た美しい女性」

現代において、あまり見かける事は無くなってきたけど、
アイヌの伝承と和人の信仰とが結びついた北海道独自の「鮫様信仰」という文化がある。

神社の名前も佐女川」で、
いかにも、川にチョウザメが生息していた雰囲気のある名前だよね。
「佐女川神社」では、「玉依姫命」が、アイヌの川の神「チョウザメ」を取り込み、
地域の心の拠り所となった・・・って言うのは、どうでしょう?

なんて、勝手に想像してみた「とうちゃん」の私見です。
間違っていても怒らないでくださいね。







ご神体を禊ぐ、木古内海岸。
国道沿いに突然現れる鳥居を不思議に思う人も多いんじゃないかな?
天気が良い日には、海岸から函館山を確認する事もできる。

極寒の冬を思い、秋の日差しが暖かい海岸で、息子と戯れてみた。





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