北海道神宮に行ってみた

「とうちゃん」

2011年01月29日 15:30



明治2年9月1日、明治天皇の詔(みことのり)により、東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行。
北海道の開拓・発展守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神)が鎮斎(ちんさい)された。
御霊代(みたましろ)はその後、札幌へと移され、明治3年5月に仮社殿が建てらたが、それは現在の鎮座地ではなかった。
現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」となった。
明治天皇が昭和39年増祀(ぞうし)され、社名も「北海道神宮」と改称。
約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれている。
なお、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものとなる。
全国一の宮会より蝦夷国新一の宮に指定されている。

(北海道神宮のホームページ 参照)



我が家の定番の散歩コースの一つ「北海道神宮」に、時期外れの初詣?に行ってきた。




手水舎の水が、氷で輝いている。
手を洗うには寒すぎるが、清楚というか、神々しい雰囲気は夏の頃より3割増。






本殿の正門。
真新しい「しめ縄」が新年っぽさを醸しているね。





息子の人生初のおみくじは「大吉」
相変わらずの「くじ運」に感心する。

息子の「くじ運」の強さは、我が家でダントツの1番だ。

彼の4年間の獲得景品は、すでに私の36年の人生を超えるものがある。

北湯沢ビンゴ大会、マイホームセンター抽選会、アリオのガラガラ、イオン抽選会などですべて1等を獲得した。
年末は、残念ながら「宝くじ」を息子に買わせるのを忘れていた。

まったく惜しいことをした。
買っていたら、今頃は大金を獲得して悠々自適な人生を歩み始めていたことは、
疑いのないところだろう。







開拓判官 島義勇 像

島判官は、札幌の地を開拓使の本府と定める。
ほぼ無人の原野であった札幌に「五州第一の都」(世界一の都)を造るという壮大な構想を描き、
碁盤の目のような整然とした町並みを目指した。
抵抗勢力との軋轢から、行財政運営に支障をきたし志半ばで解任させられる。




島判官像の脇を抜けると、最北限の杉林。
最北限ってちょっと意外だ。



(札幌鉱霊神社)                   (穂多木神社)



(開拓神社)


北海道神宮の境内社として、

鉱山殉職者を慰霊するために「札幌鉱霊社」が、
北海道拓殖銀行の物故功労者の御霊を奉斎するために「穂多木神社」が、
そして北海道開拓の功労者を奉るため「開拓神社」が建立された。


特に注目したい「開拓神社」は、
北海道開拓70周年(昭和13年)の記念行事として、開拓功労者36柱を奉ったのが始まり。
その後、昭和29年に帯広市長の請願により、帯広の農聖「依田勉三」を合祀し、37柱となった。

37柱のうち、21柱をすでに知っていた。
そうか・・・北海道開拓。
すでに半分を制覇したことになるのだろか?

ちなみに37柱の一人、間宮林蔵は日本のアマチュア天文家が発見した小惑星にもつけられている。
まぁ、今度は宇宙探検しているということか。


開拓神社では、3年ごとに大神輿渡御祭が行われ、
平成4年当時に奉納された、日本最大級の大神輿が札幌市内を渡御する。





開拓神社の側には「樺太開拓記念碑」が控えめに設置されている。
樺太開拓の功労は誰にあるんだろうって考えてしまう。
・・・難しい。誰にあるんだろう。




神社参りの〆は、「参拝者休憩所」内にある六花亭の北海道神宮茶屋店。

参内者に振る舞われるのは「判官さま」という、餡をそば粉の餅でくるんだお菓子とお茶。
ちなみに「判官さま」は、ここの店だけの限定商品だ。

美味しいんだよね。
ただし混雑時は、写真の「晩生社会社印」が描かれている「クッキー」となる。
これはこれで、美味しいし無料で振る舞われているところが、大変ありがたい。

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