三笠市の「空知集治監」跡に行ってみた

「とうちゃん」

2010年11月26日 05:50





小樽市手宮の廃線された線路は、かつては三笠市幌内まで続いていた。





三笠の町に、何気なく残されている煙突。
 
明治23年に建設された空知集治監官舎の面影を残すもの。






集治監は1901(明治34)年に廃監になったが、最も多い時には3000人余りの囚人が収容されていた。
北海道の開墾に伴う道路開削等の重労働をしたり、炭鉱で採炭作業に最も安価な労働力として使用された。


嘘か本当かはわからないが、

「炭坑内でガスの恐れがでると囚人を穴に吊し、ガスの有無を調べたという。
当然のことながら、実験に使われた囚人は、ガスがでていた場合は死亡するか痴呆状態になった。
ガス爆発(明治17年から5年間で10回)、落盤事故も多かった。」

との話も聞く。
話を半分に聞いていたとしても、なかなか凄しい。

実際の生産量から、囚人労働を考えるならば、

明治15年までの民間労働採炭量3677トン。

明治16年は、囚人を炭坑労働に投入し始めた初年度。
実稼働は半年間にも関わらず前年度3倍増の採炭量17301トン。

明治17年は採炭量31684トン(前年の2倍)。


大資本を北海道に投入した人々の喜びは容易に伺い知ることができそうな数値であり、
囚人による炭坑労働の凄惨さを十分に示している数値だ。

北海道の歴史を勉強し感じるが、北海道はある意味で植民地だと思う。
もしかしたら昔だけじゃないのかもしれない。

ようやく北海道には特例的に資本が投入され続けてきた意味が、
ほんの少しだけわかってきたような気がする。

観光って楽しいだけじゃないんだなぁ。



で、この近辺には鉄道に関する施設も充実している。


旧幌内線の廃線を利用した「三笠トロッコ鉄道」



このトロッコ鉄道、どうしても縁がない。
訪問する時はいつも、臨時休業、混雑で満席などで一度も乗れていない。



明治初期の「お雇い外国人」クロフォードの名を冠した「クロフォード公園」



特段、コレっ!というものが無いけれど、のどかな景色と鉄道の静態保存。
近くのコンビニでお菓子とジュースを買ってからどうぞ。


その他に三笠の鉄道村もあるので、ドライブにどうぞ。

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