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2011年10月27日
胃袋の宣教師 カールレイモンを訪ねてみる
「胃袋の宣教師」
生き様そのものがニックネームとなった「カールレイモン」氏。
昭和62年93歳で亡くなるまで、約70年もの間、ハム・ソーセージを作り続けた。
肉を食べる習慣がない時代の函館でのソーセージ作り。
「心がけていたことは、ただ真面目に働く事」
14歳で本格的に作り始め、18歳で独り立ちする頃には、食肉加工機械の設計なども手がけたらしい。
ノルウェーの世界的な缶詰会社で働き始め、その優秀な技術により、アメリカ最大の食肉会社へ派遣される。
アメリカでの勤務の帰りに、日本に立ち寄ったのが、函館との出会いのきっかけだった。
最初は1年間だけの契約で、日本に食肉を広めるべく、東洋缶詰会社に勤務する。
勤務先の函館の地で、「勝田コウ」と出会い、結婚を望むも周囲に反対され、ドイツに駆け落ちをする。
しかし慣れない外国生活で疲れていく妻を気遣うかのように3年後、函館に戻り、
ハム・ソーセージの店を開店するも、肉を食べる文化が無い地域では、なかなか客が来てくれない。
それでも東京の帝国ホテルを初め、大都市の大きなホテルは、味を認めて買ってくれた。
評判が広がり店の売り上げも伸びて、工場も建設できた頃、北海道庁からの営業禁止命令。
理由は、美味しすぎて他の者が参入できないとのこと。
大戦中は、外国人という事で迫害も受けた。
戦後、ハム・ソーセージが一般的な食料として受け入れられていく中、店の経営が軌道に乗る。
その素晴らしい味から、作れば売れる状況になったけれど、生産量は変わらなかった。
大量生産の道もあったけど、手作りにこだわり続けた。
ソーセージには、心と技術と肉がミッチリ詰まっている。
ソーセージは、工場で作るのではなく、台所で作る。
母が子供に作る料理と同じだ。
函館元町にある「レイモンハウス 元町店」
この場所には、カール・レイモン氏の旧工場跡地があった。
その店の外観を眺めていると・・・なぜだろう。
理由も無く?よだれが湧き出てくるの自分の体を意識できる。
1階は、試食をしながら商品を購入できる店舗とホットドック等を食べる事ができるフードコート。
熱々の焼きたてのソーセージを、店の雰囲気を感じながら食べてみる。
値段も手頃で、元町散策で減った体力を回復させるのにちょうど良い。
散々悩んだ結果「とうちゃん」一家がチョイスしたのは「ソーセージセット」
家族というスケールメリットを活かしたナイスチョイス!
「肉の細胞を一時的に眠らせている。人間の胃袋に入ると細胞はよみがえる。」
(レイモン氏の語録から)
胃袋に入り蘇った肉の細胞が、腹の虫と戦っている音なのか?
食べたのに「ぐうぅぅ〜」って腹の虫が騒ぎだす。
2Fは「レイモン歴史展示館」で入館は無料。
レイモン氏の大正時代からの北海道の畜産業への思い入れや、ものづくりの意気込みを感じる事ができる。
一つ疑問が生じる。
食べてから見学するのが正しいのか?
見学してから食べるのが正しいのか?
もちろん「とうちゃん」は、後者をお勧めしたい。
カールレイモン氏の情熱を知ってから味わうソーセージは、
2割増しで美味しく感じることだろう。
(参考資料 カールレイモン歴史展示館、北海道百年物語)
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Posted by 「とうちゃん」 at 06:04│Comments(0)
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