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2011年09月16日
気分爽快!「山ノ上大神宮」から眺める函館

函館の入り江に浮かぶ船を眺める事ができることから「船見町」と名付けられた地名。
その「船見町」においても、もっとも標高の高い位置にあると建物の一つ「山ノ上大神宮」まで、
よせばいいのに「自転車」で行ってみた。
太腿が痙攣し、息も絶え絶え。
けっして多くはない体力を振り絞って駆け上る坂。
ちょっとだけ後悔を感じるけど、自力で登った坂を振り返り、見下ろす景色は爽快だ。

【山ノ上大神宮】
天照皇大神と豊受大神が主祭神。
社伝によると、応安年間(1368 - 75年)に藤坊という修験者が伊勢神宮の分霊を亀田赤川村に祀ったのが始まり。
明暦元年(1655年)5月に尻沢辺村(現函館市住吉町)に遷座して「箱館神明宮」と称す。
天和2年(1682年)に弥生町に再度遷座した(現西消防署弥生出張所付近)。
明治11年(1878年)11月と翌12年12月の大火で類焼。
明治35年(1902年)11月、現在地に移転改築された。
現在の社殿は、昭和5年(1930年)6月に改築したもの。
(wikipedia 参照)


幕末の箱館戦争では、
榎本武揚の率いる旧幕府軍に加わった桑名藩主松平定敬の御座所になった寺院でもある。
(箱館戦争時には、同じ幸坂のずっ~と下の今のパス通り,弥生町22交差点のあたりにあった。)
その神官の一人には、坂本龍馬の従弟でありニコライを慕いクリスチャンとなった「沢辺琢磨」もいる。
要するに「とうちゃん」が一番言いたい事は、
「自転車で行くところじゃない」って事だ。

坂の途中に「旧常磐小学校跡地」があり、そこから見下ろした函館港。
なんと「箱館丸」が海に停泊しているように見える。
これは嬉しい発見だな。



坂の途中には「旧ロシア領事館」が、ひっそりとたたずんでいる。
可愛らしく歴史が滲む外観は、観光名所にもなりそうだけど、
この坂を徒歩で登る観光客は、多くはないだろう。
この建物を見て感じた事は「ロシアっぽくないな」ということ。
現在のロシア領事館、ハリストス正教会などは「ああぁ〜ロシアだ」って感じたのに。
家に帰り「旧ロシア領事館」について調べてみると、
この建物について非常に分かりやすく紹介しているブログを発見した。
大変勉強になったので、興味のある方はご覧ください。

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Posted by 「とうちゃん」 at 05:03│Comments(2)
│LOVE 函館
この記事へのコメント
こんばんは・・・
誠に申し訳ございませんが,下記の文章について
>>>「その見通しの良さから、幕末の箱館戦争では・・・」、
なんですが,明治11年・12年の2度の大火により函館市内を
転々と移り現在の位置になったのは,明治35年になります。
幕末当時は,同じ幸坂のずっ~と下の今のパス通り,弥生町22の
交差点のあたりになります。
ちなみに斜め向かいが,あの惨殺事件のあった当時の高龍寺なりま
す。
誠に申し訳ございませんが,下記の文章について
>>>「その見通しの良さから、幕末の箱館戦争では・・・」、
なんですが,明治11年・12年の2度の大火により函館市内を
転々と移り現在の位置になったのは,明治35年になります。
幕末当時は,同じ幸坂のずっ~と下の今のパス通り,弥生町22の
交差点のあたりになります。
ちなみに斜め向かいが,あの惨殺事件のあった当時の高龍寺なりま
す。
Posted by 遠藤浩司 at 2011年09月16日 22:27
遠藤さん、こんばんは!
まったく私の確認不足でした。
自分で「明治35年現在地」って書いているのに、
「箱館戦争時に桑名藩主松平定敬の御座所になった場所」は嘘ですよね。
「箱館戦争時に桑名藩主松平定敬の御座所になった寺院」に訂正しました。
古い地図(木工棟梁橋本次郎兵衛控 1801年(享和元年))にて、当時の位置関係を確認しました。
調べ見て分かったんですけど、旧高龍寺の斜めにある「神明社」が、
当時の「山ノ上大神宮」ですね。
また一つ、勉強になりました。ありがとうございます。
まったく私の確認不足でした。
自分で「明治35年現在地」って書いているのに、
「箱館戦争時に桑名藩主松平定敬の御座所になった場所」は嘘ですよね。
「箱館戦争時に桑名藩主松平定敬の御座所になった寺院」に訂正しました。
古い地図(木工棟梁橋本次郎兵衛控 1801年(享和元年))にて、当時の位置関係を確認しました。
調べ見て分かったんですけど、旧高龍寺の斜めにある「神明社」が、
当時の「山ノ上大神宮」ですね。
また一つ、勉強になりました。ありがとうございます。
Posted by とうちゃん at 2011年09月17日 05:03