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とことん遊ぶぞ 北海道! › LOVE 函館 › 幕末に生きた、男前な「船大工」について

2011年09月07日

幕末に生きた、男前な「船大工」について

高田屋嘉兵衛とロシア人ゴローニンとの人質交換のために、
箱館港に姿を現したロシアからの黒船。


鎖国が続く幕末の日本。
外国船を見ないように厳命されていた市民。
この禁を破った者は、厳罰を課せられた。


でも・・・・

「だって、自分で作ってみたいんだもん!」

って言っていたのかは、知らないけれど、
命をかけて禁を犯し、日本の造船技術の向上を目指した熱い男。


続 豊治(つづき とよじ)




彼は、船大工であった父親の元で、船大工を学んだ後は、その技術認められ、
当時の北海道で最高峰の造船技術集団である高田屋嘉兵衛の造船所の組頭を勤めた。




【高田屋嘉兵衛資料館にて】


高田屋が失脚してからは仏壇業を20年ほど営んでいた。

長い時間、船大工の仕事から遠ざかっていたけれど、たまたま函館を訪れてきたロシアの黒船。

船大工の魂が「蒸気機関車」のごとく、雄叫びをあげた。


「なんで黒船に近づいた?ダメって言ってたじゃん!」


「高田屋の船大工を努めていた時、外国船ほどの船を造れなかった。
日本の造船技術の進歩のために、外国船の見取り図を書いていたんだ。
自分は死んでも良い。
ただ、この図面だけは残してほしい。それが日本のためだ!」


なかなか言えるもんじゃないよ!この台詞は。
「とうちゃん」も、いつの日か、言ってみたい台詞だね。


死罪をも覚悟していたけれど、もっと近くで外国船を見る事ができるように
「異国船応接方」に任命されてしまった。

鎖国の時代において、この判断ができる人間が箱館奉行で働いていたことも嬉しく感じる。


でも、生粋の船大工の「続 豊治」は、外国語なんて話す事ができない。
ここで通訳として活躍するのが息子の「卯之吉」
のちに日本の気象、測量の分野の近代化において大きく貢献する「福士 豊成」(ふくし とよなり)だ。


この成果を元に、外国人の手を借りずに、日本人により設計から製造された
初の西洋型帆船「箱館丸」を完成させ、
処女航海において、2度の暴風雨に襲われつつも記録的スピードで江戸までの航海を成功させる。

この功により、船大工としては最高の地位である「幕府船工棟梁」に任命される。



【函館西埠頭に展示されている「箱館丸(復元)」】
(青函トンネル開通記念博覧会に合わせて、昭和63年に復元されたもの)




武田斐三郎に操船されロシアまで航海し、
ロシアに日本の造船技術を知らしめ「亀田丸」
「豊治丸」など、次々に完成させ、日本の造船技術を世界に知らしめていく。


【幕末の天才技術者 武田斐三郎(五稜郭内にて撮影)】




命を賭して、禁止されている技術を盗み取る探究心と情熱。
現代では、あまり見かける事が無い「命を賭ける」ほどの情熱

西埠頭に、なにげに展示されている「箱館丸」を見学してみて調べてみると、
ステキな歴史が眠っていた。




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Posted by 「とうちゃん」 at 05:51│Comments(4)LOVE 函館
この記事へのコメント
箱館丸。
とうちゃんさんのお陰で郷土の歴史を知るわ!

婆は見てても「あら?!ここに船が~!♪」
で終わり(笑)

いつも勉強させてもらってまーす!
Posted by スナ婆 at 2011年09月07日 08:15
スナッチさん、こんにちは!

いつもブログを読んでくれて、いつも励ましてくれてありがとうです。

スナッチさんのおかげで、明日もブログを書く気が湧いてきますよ!
Posted by とうちゃん at 2011年09月07日 22:02
こんばんは

初めまして・・・(^^)v

一応・・・日本人初の西洋型帆船「箱館丸」ではなく

函館にも ゆかりがある幕臣 中島三郎助永胤では・・・?

当時の浦賀奉行与力でペリー艦隊と最初に接触した人物にして、

日本初の西洋式帆船「鳳凰丸」の建造者である中島三郎助永胤は

函館の中島町の町名として残っております。
Posted by えんど~ at 2011年09月08日 21:27
えんど〜さん、こんにちは!
ご指摘、ありがとうございます。

自分の文章の下手さに、凹んでおります。
言葉が足りませんでした。

「外国人の手を借りずに、日本人により設計から製造された」との言葉が抜けていました。

ご指摘ありがとうございました。
Posted by とうちゃん at 2011年09月09日 04:23
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    コメント(4)