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とことん遊ぶぞ 北海道! › LOVE 函館 › 新島襄海外渡航の地碑に行ってみた

2011年06月24日

新島襄海外渡航の地碑に行ってみた

    


来年のNHK大河ドラマの主人公が新島襄の妻「新島八重」と、今日のニュースで知った。


このチャンスを逃す事なく、「新島襄海外渡航の地碑」について書いてみる。



「台座の部分」                「碑の裏側」
 
この碑は、地味で分かりにくいところなので、このような機会が無ければ、記事に書く事はないと思っていた。





新島襄とは?


本当にイカした男だ(函館だけにね)。

自分の妻についてのコメントで、

見た目は決して美しくない。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。icon12

こんな台詞をさらっと言う事が許される男に生まれたかった。



時代の流れを考えて西洋科学を学び、「武田斐三郎」という時代の最先端の教育者の門下に入るべく、
松前藩の快風丸に乗り込み、箱館へ渡るも、武田は江戸に戻ってしまい、教えを請う事はできなかった。

そんな時に、友人の紹介でロシアの僧侶「ニコライ」の客となる。
そこでは、ニコライに日本語を教授しつつ、英語を学んだらしい。

彼の外国への熱烈な憧れは、箱館という早くから開かれた土地で育まれたのだろう。


そのような状況のなかで、アメリカへの密航を行う。
そして一定の成果を修めて日本に帰国した。
その後は、同志社英学校を開校し初代社長に就任、この時期に「八重」と結婚もするも、
46歳という若さでこの世を去る。


彼の墓標に刻まれた銘は、勝海舟の筆らしい。



ちなみに今日私がココを訪れたのは、この碑を見るためではなく、
この「空き地」を見るためだった。








だって、このあたりが函館で最も早い時期に埋め立てられ、かつ最も外国人に開かれていたところだったから。


(函館中央図書館 所有 1860年 作成)(函館市史 4章1節から)


函館は、1858年日米修好通商条約の締結により、翌年には貿易港として外国商人の商いの場となった。
これにより、海岸の場所が外国人にも必要となり、貸渡地の要望がでてくることになる。
これに対し箱館奉行側は、海岸線については市中商人の利便もあり、なかなか貸渡地が用意できずにいた。
そこで、対処策として海面の埋立が考えられた・・・・(函館市史 4章1節 参考)


時代の一等地も、今ではなんにも活用されず放置されている。


もし、NHK大河ドラマの影響で函館に観光に来る人がいたら「新島襄海外渡航の地碑」を見たときに、
ちょっとだけ後ろを振り返って、こんな事を思い出してみると、函館観光も充実すると思うんだけど。






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Posted by 「とうちゃん」 at 07:30│Comments(0)LOVE 函館
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