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2011年06月21日
縄文遺跡の里「大船遺跡」に行ってみた

函館市から車で1時間ほど、縄文遺跡の里「大船遺跡」に行ってみた。
縄文時代中期(約5,500~4,000年前)を中心とした大規模な集落跡で、国の史跡に指定されている。
特筆すべきは,竪穴住居跡の規模が非常に大きく密集していることで、100軒以上の住居跡が確認されている。
遺跡からはサケ・タラ・マグロなどの魚類をはじめウニ・カキ・オットセイ・クジラといった海産物や,
クリ・クルミ・トチ・ブドウといった植物種子など,当時の食生活をうかがい知ることができる資料も出土している。
これらの調査成果から,豊かな自然を背景に継続して安定した生活が営まれていたことがわかる。
(HP 南茅部支所オフィシャルサイト 参考)
やはり、豊かな土地には人と富が集まり、その結果として豊かな文化が生まれていく。

北海道唯一の国宝「かっくう」さん(レプリカ)
恐れながら「かっくう」さんを上から覗き込んでみた。
・・・「かっくう」さん、と呟きながら土偶の顔を見つめていると、思わずニヤッとしてしまう。
高さ41.5センチメートル、幅20.1センチメートル、重さ1.745キログラムで、中空土偶としては国内最大級。
推定される年齢は3300歳!
出土した南茅部の「茅」と、中空土偶の「空」をとって「茅空(かっくう)」と名付けられた。
「かっくう」さんを下から見上げてみた。

・・・・・・見方としては、コチラの方が正しいね。
空を見上げる「かっくう」さんには、神々しさに満ちた威厳がある。

「ハコダテ150」というサイトでは「かっくう」さんの、素晴らしさについて、
私のような素人にも分かりやすく説明されていた。
まとめると「大きくって薄くってキレイで、空を見上げているところ」だそうだ。
「かっくう」さん、男の方だと思っていたけど、よく見ると女性のような気もする。
大船遺跡の神様は、男性なのか女性なのか、それとも性別はなかったのか。
恵みをもたらす精霊に形はあったのか?
なぜ縄文時代の人々は、人の形をとる土偶を信仰の対象としたのか?
豊かな恵みと繁栄の象徴としての女性像ではなく、中世的な像なのだろう?
この日の私には、・・・・考える時間はたくさんあった。
なぜなら、息子と妻が来るべき大災害に備えて、火起こしと麻布造り精を出していたから。



広くはない展示場に、息子と妻が起こした煙が、迷惑なほど充満している。
あまりに熱中しているので、次は縄文土器をじっくり観察して時間を過ごしてみた。


左の写真が、手前から奥へ時代が進み、右の写真は手前から奥に時代が遡る。
コレがなかなか興味深い。
時代を経て、土器も洗練されていくかと思われるが、ちょっと違う。
やはり、土器造りの上手下手があり、必ずしも新しい時代の土器が美しく機能的とは限らない。
みんなから人気のあった作家もいたのかな?
ひたすら庶民的に頑丈さを売りにする土器職人がいたのかな?
こうやって、人々の格差が生まれていくのだろう。

ちなみにこの土器は、現代の人間が作ったものらしい。
もし、縄文時代に作られていたら重要文化財クラスの価値があっただろう。


遺跡跡では、このように復元した状態の家屋などの展示も行っている。
学芸員さん曰く「中は気密性が高く、結構暖かい」とのことだったけど、雨降りなので写真だけ。
正直な話、博物館などで縄文文化の展示スペースって、あまり真剣に見る時間も機会もなかった。
その文化に詳しい方の話を聞きながら、じっくりと見学する縄文文化はとっても面白かった。
もし、時間と機会のある方は見学をしてみては?
※ 2011年10月1日にの国宝・中空土偶を常設展示する施設「函館市縄文文化センター」が
オープンすることが決定したらしい。
この文化センターでは、いつでも本物の「カックウ」に謁見できるらしい。
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Posted by 「とうちゃん」 at 20:56│Comments(0)
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