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2011年01月18日

「旭橋」に行ってみた

実家から1分ほど歩いたところに、北海道遺産「旭橋」が威厳を保ちつつ石狩川を見据えている。


(ほぼ実家の裏から撮影)



実家に住んでいた頃には、見向きもしなかった「旭橋」が、今は妙に立派に見える。




【旭橋の歴史】

初代旭橋は1904年(明治37年)に架けられた鋼橋。


初代旭橋は、木製部分を中心に老朽化、交通量増加に対応できなくなりつつあったころ、
旭川市街軌道が旭橋を通る路線を計画していたこともあり、旭橋は架け替えることとなった。

1932年(昭和7年)11月3日に2代目旭橋(現 旭橋)が竣功。






現代まで使用に耐え得る強靭なその構造は、高張力鋼の採用や48万本以上のリベット接合、
床板にバックルプレートの使用やロッキングカラムなどの伸縮に耐える仕組みに因るもの。

当時の最新技術で設計された目的は、旧陸軍第7師団司令部の存在に起因。
戦時に敵に橋脚が攻撃されても崩落に耐え、また戦車などの重量物の通行を可能とするためだった。
また、当時の旭橋正面には軍人勅諭綱領を書いた旭日章が掲げられ、通行する者は立ち止まり辞儀や敬礼をし、
市電車内では車掌が通過時に号令をしたという。

(wikipediaoy及びHP「旭橋のあゆみ」参考)
(写真は博物館等の展示パネルを再撮影)





昔の上司に教えてもらった、旭橋に関する忘れられない話がある。

「旭橋は、現代の技術では作ることができない。リベットを打ち込む技術者がいない。
橋の下で、リベットを赤く輝くほど焼き入れ、それを火鋏で真上に投げる。
上にいるリベット技術者が火鋏で受け取り、すばやく打ち込んでいくこと48万本で旭橋はできている。」




この無数の「ブツブツ」は、当時の職人の勲章でもあるんだね。


また、正月に帰省したときに大正生まれのじいちゃんと、旭橋の話をした。

「第7師団に行くときには、市電で旭橋を通ったもんだ。
橋を渡るときは、軍人勅諭に敬礼して通過した。」

じいちゃんに、歴史を感じたのは、生まれて初めてかもしれない。



そして最後に、旭橋付近の郷土史。
自分の家のすぐ側なのに、全く知らなかった。

その土地を良く知りつつ、古い地図を眺めていると、あまり語られない郷土史以上に理解できることがある。
好んで教える人もいない「遊郭」の話だけど、後日整理してちょっとだけブログに書いてみるつもり。



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