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とことん遊ぶぞ 北海道! › 北海道の遊び場 › 帯広市「馬の資料館」に行ってみた

2010年12月03日

帯広市「馬の資料館」に行ってみた

帯広市「馬の資料館」に行ってみた

帯広競馬場敷地内にある「馬の資料館」に行ってみた。

世の「おぢさんたち」の夢を乗せて、今日もがんばる馬についての資料館。

自分の人生の中で「馬」について、これほど勉強したことはない。

軍事にしろ農事にしろ、人間の歴史にこれほど深く影響を及ぼした動物もいないのではないだろうか。

漢字にしても「馬偏」を使用する漢字は多いことは、馬が人間の歴史に深く関わっている証拠でもある。



簡単に、馬と人間の歴史に触れてみると、

今から約6000年前、中央ユーラシアにおいて、馬を御するための馬具「馬銜」(はみ)を発明したことから、
本格的に馬と人との関わりが始まる。

馬は人間の歴史に「速度」をもたらした。

この時から始まる「人と馬の文化」は、大草原を越えて大陸の東西に伝播する。
遊牧民から定住民へと、馬とのかかわりは拡がり、馬文化が日本に渡来したのは5世紀初め。

日本の馬文化はまず貴族や武士の社会と結びつくことで発展する。
装具としての鞍や鐙などには優れた美術品の域にまでたかめられたものも多数ある。

時代とともに、馬は優れた労働力として人々の日常生活に深く関わっていく。


北海道の馬文化史は、

江戸時代に、南部馬が冬期間北海道に放置され、気候風土に適応するようになったものが北海道和種(ドサンコ)。
体高が低く体の大きさの割には駄載可能な重量が大きい北海道和種は駄載に適した品種といわれている。

帯広市「馬の資料館」に行ってみた帯広市「馬の資料館」に行ってみた

ちなみに車の普及と道路整備が進んでからも、山中の高圧鉄塔の建設では北海道和種による駄載が大きな役割を発揮した。
駄載には「駄づけ」とよばれる技能が必要であるが、道南地方にはこうした技能を継承している人たちも現存している。
現在の飼育頭数は、かつてに比べれば著しく減少しているとはいえ、約1,800頭が道南地方を中心に飼育されている。

明治5年(1872年)には、開拓使・黒田清隆によって「新冠牧場」が開設された。
新冠牧場が整うまでに約16年、その整備に大きな役割を果たしたのが、開拓使雇いのアメリカ人、エドウィン・ダン。
新冠牧場は彼の設計による近代的な西洋式牧場であった。
馬に深刻な被害をもたらしていた北海道狼を駆除したのもダンであった。

その後も馬を利用した農耕は北海道の農業開拓に大きな役割を果たしていった。
明治19年(1886年)開拓使に替わる北海道庁が設置されたのと同時に、真駒内に北海道種畜場も開設。


軍馬に適したウマを育成するために競馬を振興し、競馬を通じて馬種の改良が進められた。

もちろん、馬産には軍馬改良という政策的目的があったことも見逃すことはできないものの、
それでも「お馬さん」好きの大人たちの夢を乗せて走り続けている。

また、最近では「おぢさん」たちの夢を叶えるために走るのではなく、人間の社会に適応する馬もいる。
世界最小のウマ「アメリカンミニチュアホース」は、盲導犬ではなく盲導馬として活躍しているそうだ。
乗馬を通じ心を癒すホースセラピーも注目を浴びている。


馬の世界も生き残るのは大変そうだ。


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Posted by 「とうちゃん」 at 04:39 │北海道の遊び場

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