2015年11月28日
伊能忠敬 4万キロ 【香取市佐原】

人生が50年だった時代。
50歳から江戸で学び。
55歳から71歳まで日本全国を測量して歩くこと4万km。
日本史上、はじめて日本の正確な姿を明らかにした。
伊能忠敬(いのう ただたか)。



【佐原の町並み】
そんな彼が50歳まで過ごした町、香取市「佐原」を訪れてみた「とうちゃん」です。
水運を利用して「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていた町「佐原」。
その面影を残す町並みや雰囲気が、現代にも息づいている。
佐原では、昔からの家業を引き継いで今も営業を続けている商家が多く、「生きている町並み」と
して評価されている。

【旧伊能忠敬宅】
1745年、忠敬は現在の千葉県九十九里町で生まれ、その才を認められて、代々名主を務める家
柄で佐原でも最も有力な商人であった伊能家に、17歳で10代目の当主として婿養子に迎えられ、
活躍していく。家業は主に酒造業を営んでおり、酒蔵がいくつも並んでいたんだって。

【忠敬と「息子」】
家督を譲って隠居して後、勘解由と名乗り50歳で江戸に出る。
忠敬の凄いところは、ここからの人生だよね。
50歳から勉強の為に江戸に向かう知識欲、好奇心と言ったら!
20歳も年下の高橋至時に弟子入りし、天文学や測量を学び、55歳から71歳まで10回にわたり全国
測量。『大日本沿海輿地全図』を完成させる。
完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降、国内の基
本図の一翼となった。

【北海道大学蔵 蝦夷国測量図 / 伊能忠敬】
忠敬の死から43年後の1861年。
イギリス測量船が幕府に強要して日本沿岸の測量を始めた時、伊能図の一部を船長が見て仰天。
「この地図は西洋の器具や技術を使っていないにもかかわらず正確に描かれている。今さら測量する
必要はない」と測量を中止したのは有名な話。
西洋人は、長く鎖国していた日本を未開の文明後進国だと決め付けていた。
しかし、世界水準の正確な地図を持っていることに驚き、考え方を改めたという。

【東京国立博物館蔵】
忠敬が弾き出した緯度1度の距離は、現在の値と比較して誤差が約1000分の1という正確さ。
誤差を減らすために天体観測を徹底し、遠くの山を目印にして測量結果を確かめ、その他様々な測定
法を活用した成果である。
南中高度、日食、月食、木星の衛星食などの天体観測を、全測量日数3754日のうち1404日で実施し、
多い日は1日で20個~30個の星の南中を観測し、誤差の軽減に努めた。
「地球の大きさを知りたい」
現代においては当たり前に知ることができる、そのことのために。
道無き道を4万kmも歩き、その好奇心を満たした男「伊能忠敬」。
忠敬が求めた緯度1度の距離は、現在の値と比較しても誤差が約1000分の1という正確さ。
その人生に。
大いなる敬意を表したい気持ちでいっぱいの「とうちゃん」がお送りしました。

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