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2012年11月21日
函館護国神社から見下ろす函館の町
1869年(明治2年)箱館戦争殉難者を祀るため、招魂社を設立。
今でも境内には「招魂場」の字を刻んだ石碑が残されている。
【亀石に刻まれた「招魂場」】
この石碑に使用されていいる石は、高田屋嘉兵衛が飢饉対策の公共事業として市民に海中から引き揚
げさせた「亀石」を割ったものだとされ、揮毫は箱館戦争の総督を務めた清水谷公考。
函館護国神社社殿の向かって右奥には、新政府軍戦死者165柱を祀る墳墓が、ひっそりと佇んでいる。
【見落としがちな新政府軍戦死者墳墓】
1939年(昭和14年)に函館護国神社と改称され、箱館戦争・西南戦争・日清戦争・太平洋戦争まで
戦没者が英霊一万三千余柱が祀られる。
1942年(昭和17年)に現在の曲線が美しい屋根が特徴の社殿に改築された。
境内には、戦争により失われた命を惜しみ、石碑が立ち並ぶ。
松の巨木を見上げてみると。
松の木に巻き付いた葉が紅葉していたけど。
まるで立ち昇る炎を見るような景観だ。
なんとも言えない、不思議な雰囲気が神々しさを醸している気がする。
【坂の上にある護国神社の鳥居から】
見下ろす坂は「護国神社坂」。
以前は、「招魂社坂」、「倒産坂」、「汐見坂」と呼ばれていた事もあるそうだ。
神社にまつられる御霊が、国を故郷を守るために戦死したのか、どんな思いを胸に戦死したのか、
この世にどんな未練を残していったのかなんて、「とうちゃん」には分からない。
小春日和の秋の昼に。
神社の境内から見下ろす函館の町が、とても愛おしく感じる。
きっと、護国神社を参拝したこととは無関係では無い気がする。
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Posted by 「とうちゃん」 at 05:33│Comments(0)
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