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2012年11月03日
「鉄道唱歌」で旅をする 北海道開拓時代
先日、チラリと話題に上った「鉄道唱歌」。
調べてみると、なかなか面白い。
歌詞は、第1章から第6章全374番から構成される。
第6章は「北海道編」となっている。
さらに第6章は、2部構成となっていて1部が函館〜小樽で明治39年作、2部が
小樽〜旭川〜室蘭で明治40年作。
第6集1番と40番の歌詞を通じて、明治時代における北海道の情勢がよく知ることができる。
特に、第2部 小樽〜幌内 に関する歌が、北海道開拓の熱気が溢れていて好きだな。
歌の最後40番では、室蘭で締めているのも興味深い。
合わせるメロディは、国鉄時代から特急・急行列車の車内放送の前に流す車内チャイムの一つとして
使用されているため、「鉄道唱歌」と言う曲名を知らない人でも、耳に馴染んでいる人は多いと思う。
【明治39年作 1部(抜粋)】
『千里の林万里の野 四面は海に囲まれて 我が帝国の無尽庫と 世に名ざさるる北海道(1番)』
【我が帝国の無尽庫と 世に名ざさるる北海道】の歌詞が、なぜかとっても誇らしい気分。
『出船入船ひまもなく 商業貿易北海の 関門占めたつ土地ぞとは 知らるる市街の賑しさ(4番)』
当時の函館を謳った歌です。
函館市立博物館にて掲載されていた写真には、歌のとおり賑わう函館港が撮影されている。

【明治の函館港 函館市立博物館】
『人参植えて杉植えて 百年近くの昔より 開墾せられし七飯村 農産他所には勝れたり(6番)』
『馬車の便有る本郷の 十四里西に江差有り 岩内寿都と諸共に 北海屈指の良き港(7番)』
『海辺伝いに早いつか 過ぐる胆振の国境 八雲に続く国縫は 満俺鉱山所在の地(10番)』
『鰯 鰈に法貴貝 海産多き長万部 南部陣屋の跡すぎて はや後志の黒松内(11番)』
当時の産業の状況が良く現れていて、興味深い。
七飯の農業は、この当時から歴史ある農業で有名だったとか、江差の港は、良港として昔から栄えて
いたけど、この当時は岩内、寿都がこれに並ぶ港だったことを初めて知った。
長万部は毛蟹のイメージが強いけど、当時有名だったのは鰯、カレイやホッキ貝だったんだ。
噴火湾って、貝が美味しいイメージあるよね。

『紅葉の如き赤心を 桜の如く香らせし 阿倍比羅夫の忠勇を 記念に残す比羅夫駅(13番)』
函館本線は、長万部から内陸へ向かうんだよね。
今でこそローカル路線だけど、おそらく当時は、賑わっていたんだろう。
「比羅夫」って漢字で書くとカッコいいけど、「ヒラフ」ってカタカナで書くと、外来語みたい。

【朝の羊蹄山】
ちなみに1964年まで存在した「狩太町」という町、知っていますか?
羊蹄山の麓に広がるニセコ町の旧名です。
漢字で「二世古」と書かれる場合もあるそうです。

【SLニセコ号】
『蘭島 塩谷の海辺には 楽しき海士の里見えて 鰊網引く春の日の 賑 言葉につくされず(19番)』
意外だけど、「鰊」という単語が出てきたのは、江差や小樽ではなく【蘭島】だけでした。

【鰊の炭焼き】
【明治40年作 2部(抜粋)】
『黒煙天に靡かせて 出でゆく汽車の窓近く 見かえる小樽の港には 集まる船舶四時絶えず(21番)』
『市街は人口八万余 商業漁業繁盛し それに続ける手宮町 崖には奇形の文字あり(22番)』

【北海道鉄道発祥の地碑とアイアンホース号】

【旧手宮駅 機関庫】


【小樽市内の高架線を走る機関車】 【旧手宮駅 奥には大桟橋】
小樽市の手宮にある総合博物館には「北海道鉄道発祥の地碑」があります。
お雇い外国人クロフォードにより、小樽〜札幌に鉄道が敷設されたのが1882年。
北海道観光マスター試験勉強の際に「パンツ(82)も真っ黒、クロフォード」
って覚えました。
おそらく、一生忘れないと思います。

【開拓時代に北海道を馳せた「しづか号」】
『海水浴と温泉の 銭函 軽川過ぎ行けば 右には手稲の山高く 左に石狩原広し(24番)』
『琴似の次の札幌は 道庁所在の大都会 農学校に博物館 ビール製麻の会社有り(25番)』

【旧開拓使麦酒醸造所】


【北海道大学 構内】 【旧札幌農学校演武場】

【旧北海道庁】
開拓時代のエネルギッシュな情景が目に浮かぶような歌詞ですね。
今日でも残されている産業遺産も少なくない。
あれ?「テイセン」の跡地ってマンションが建設されるんでしたっけ?
『稲田さかゆる厚別は 野幌山の裾の原 雪間に雁のおるる日は 猟する人の行く処(27番)』
だから「雁来」って言う地名が出来たんでしょうね。
思わず納得です。
札幌に引っ越した当時は、「雁来」って読めませんでした。
ちなみに石狩市にある地名で「花畔」って読めます?
「とうちゃん」がコレを読めるようになるまで、相当時間がかかりましたけど。

【石狩灯台】
『石狩川に打ち注ぐ 千歳の川の落ち口に おかれて賑う江別町 石狩行きの汽船有り(28番)』
札幌市から江別市へ国道12号を進んでいくと左手に「防災ステーション」があります。
コチラの2階には、当時の石狩川船運に使用されていた外輪船「上川丸」の展示や、当時の江別村
のミニチュア模型が展示されています。
機会がありましたら、見学してみて下さい。
もちろん無料です。

【江別村 石狩川舟運】
『幌向原野 岩見沢 真直ぐに行けば幾春別 幌内太と幌内と 三炭山の在り所(29番)』
幌向には、鉄道博物館が設置されています。
町に漂う寂しい雰囲気からは、幌向が明治日本の原動力になっていた地域だったなんて、ちょっと
想像するのが難しい。
もちろん、幌向に限ったことではないけれど。

【三笠鉄道村】
『奈井江の次の砂川に 置かるる三井の木工場 ここは名高き歌志内 炭山行きの別れ道(31番)』
炭坑行きの分かれ道。
この当時は、歌志内は産炭地として名高かったんですね。

【アルテピアッツァ美唄】
写真は、旧産炭地の美唄市にある廃校を利用した観光名所「アルテピアッツァ美唄」です。
ここに展示されている彫刻を作成したのが「安田 侃」先生。
北海道美唄市出身で、イタリアを主に活動している彫刻家です。
彼の彫刻を置くことで、旧産炭地の廃校が、洗練されつつも馴染みのある空間になっているのは、圧
巻ですよ。
『原野の西に位して 師団置かるる旭川 離宮は美瑛 忠別の 二川の間の神楽岡(33番)』
旭川を紹介する歌は、やっぱり師団になるんですね。
上川離宮が歌に出てくるのは、ちょっと意外だけど、時代ってやつですかね。

【旧旭川偕行社】
『見つつ分け入る炭山は 北海富源のその一つ 積み出す石炭諸共に 我等も帰る元の駅(36番)』
『建築材に必要の 石切り出だす登別 山には全国類なき 壮観奇絶の出湯あり(39番)』
登別が石切りとして有名だったなんて、初めて知った。
『幌別輪西打ち過ぎて はや室蘭に着きにけり 青森までは海一つ 海胆は此地の名産ぞ(40番)』
この時代の主な輸送路の一つは、室蘭から青森までの航路だったのか。
歌の最後は、意外にも室蘭でした。
最後の最後で「海胆(ウニ)」に触れているところが、可愛らしい。
きっと作詞者は、ウニが好きなんだろうな。
室蘭がウニの名産地として歌われるのは意外ですが・・・
そうなんですか?

可愛くも懐かしいメロディに合わせて口ずさんでみてください。
良く晴れた太陽が暖かい日に。
ローカル電車に乗って、北海道開拓に思いを馳せつつ。
「鉄道唱歌」を口ずさんでみたくなる。
そんな早朝5時を迎えている「とうちゃん」がお送りしました。

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Posted by 「とうちゃん」 at 05:51│Comments(0)
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