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とことん遊ぶぞ 北海道! › 北海道開拓に思いを馳せる

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2016年05月31日

クラーク博士が残したもの 札幌農学校第2農場




クラーク博士が残したもの。

北海道畜産発祥の地であり、洋式農業普及の原点。
札幌農学校第2農場を訪れた「とうちゃん」。





「札幌農学校第2農場」は、広大な大地、北海道で大規模な西洋式農業を普及させるためのモデル
農場として作られた。

札幌農学校第2農場、通称モデルバーンの雰囲気は、開拓時代のアメリカを連想させる。
これが、クラーク博士の理想としていた農場のイメージなんだろうね。
「とうちゃん」も好きですよ、この雰囲気は。



【コーンバーン :玉蜀黍庫】

モデルバーンと同じ1877年に建築された。
建物の構造の内、特に屋根の構造はホイラーが設計した札幌農学校演武場に類似して、合掌材をカ
ラービームで繋ぎ止めている。
また、鼠害防止のため、高床構造になっている。



1911年の移転改築時の設計図面によると、ほとんどの部材が当初材を転用しており、明治初期の
佇まいを現在によく伝えている。
内部は見学可能で、農機具の進歩の歴史を、展示物を通して感じることができる。



【牝牛舎とサイロ】

「牧牛舎(牝牛舎)」の後ろには軟石造りのサイロがついている。
農場の発足以来,継続して畜産経営を行い、多くの成果を出してきた札幌農学校。

特に注目すべき事例を挙げると,明治22(1889)年に始めて導入されたホルスタイン種の乳牛は、
今日に至るも血統が続いて雌雄共に1,050産を数え,世界に例のない血統継続記録であるばかりか、
この中から北海道の基礎牛となって北海道酪農の発展に貢献していることがあるんだって。



こんな感じで牛が飼われていたというイメージ。

明治の初期において。バターとして?牛乳として?
馴染みのない「牛乳」を、どのように日本人に食べてもらうつもりだったのかな、クラーク先生は。



【明治33年頃?の札幌農学校第2農場】

北海道大学札幌キャンパスの北に位置する「札幌農学校第2農場」は、1909(明治42)年から1912
(大正元)年にかけて整備されたもので、その近代的な大規模有畜農場経営は、北海道における大規
模農場のモデル的役割を果たした。

畜産としては畜牛を主に、常時100頭前後を飼育して搾乳・製酪を行い、農産としては飼料作物を多
く栽培した。
農作業は人力を省き、西洋式農具を用いた畜力によるもので、指導者の養成や農業技術の向上にも寄
与し、酪農発達史上重要な位置を占める。




新緑が鮮やかな北海道大学のキャンパスで。
今日まで、開拓時代の名残を示し続ける札幌農学校第2農場。
大都会に残された開拓の足跡をたどって歩くのは、面白いね!

【参考:札幌農学校第二農場サイト】
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Posted by 「とうちゃん」 at 21:06Comments(0)北海道開拓に思いを馳せる