【銀のしずく 降る降るまわりに】を訪ねて旭川市 

「とうちゃん」

2011年12月17日 18:34





銀のしずく 降る降るまわりに。
金のしずく 降る降るまわりに。

「梟の神の自ら歌った謡 アイヌ神謡集より」



謡には、クリスマスっぽい雰囲気が漂っている気がする。
それとも、満月に照らされた雨の謡なのか。

言葉の意味や由来を知らなくても、このフレーズを知っている人は多いのではないだろうか。




小学生の頃「とうちゃん」は、何かの授業で耳にした記憶がある。
言葉の意味は理解していないけれど、言葉が持っている美しさのせいなのか。
今でも「とうちゃん」の心に刻み込まれている。


誰が、いつ、何処で、何をしているのだろう?

大人になった「とうちゃん」は、30年近い時を経て「アイヌ神謡集」を読んでみることにした。




・・・・・・
・・・・・・・・なるほど。

この謡は、梟(フクロウ)の神様が口ずさんでいた謡だった。
「銀や金の何かが降り注ぐ」という情景を表している言葉ではなかった。

梟(フクロウ)の神は、何を考えて謡を口ずさんでいたのだろう。
それともこのフレーズには、昔のアイヌの人々にとって、特別な意味が有る謡なのか。


謡の意味は分かったけど、謡を理解することはできなかったと思う。






「アイヌ神謡集」の著者 知里幸恵

彼女が「とうちゃん」の実家のご近所さんだったと知った事は、今日の収穫だろう。
19年という短い生涯で,偉大な足跡を残した知里幸恵。
重度の心臓病を患っていたが、病気をおして書き続けた「アイヌ神謡集」。
1922年(大正11年)9月18日に完成し、その日の夜、心臓発作のため死去。

命をかけて、アイヌ文化の素晴らしさを後世に繋げた業績は計り知れない。




そんな彼女が6才から19才までの約13年間を旭川で過ごした土地が、現在の北門中学校。




和人による惨い迫害を受け続けた歴史、差別を受ける土人居留地で、
素晴らしいアイヌのユーカラを美しい言霊を持つ日本語によって、
現代まで紡いだ業績に激しく感動した。





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