国華山 高龍寺
古刹の風格を纏う山門や本堂。
施された彫刻も美しく、函館の名所の一つにもなっている。
北海道の有名な寺院を沢山お参りしてきた。
もちろん「高龍寺」よりも格も歴史もある寺院を訪れても、
この「高龍寺」ほど荘厳な風格を有してはなかったと思う。
山門や本堂に装飾された彫刻。
有力な宗教に保護されて、後世に残る芸術が生まれてくる。
素晴らしい事ではあるが、この芸術を創造した背景には、
信者から集める血と汗がある事を忘れてはいけないと思うよ、「とうちゃん」としては。
【高龍寺の歴史】
1633年(寛永10年)松前町の曹洞宗法源寺の末寺として亀田村(現在のガス会社のあたり)に建てられた。
1706年(宝永3年)弁天町幸坂下大黒通りに移転
【函館市中央図書館蔵 木工棟梁橋本次郎兵衛控 1801年(享和元年)】
幾度か大火などのため建物を焼失し、1879年(明治12年)現在の場所に移転。
明治40年の函館大火の際には、幸いにも本堂は焼け残った。
この大火により、現在に残るレンガ作りの塀も作られた。
このレンガ塀の積み方も、時代によりイギリス式、フランス式と異なっている。
明治43年には、見事な彫刻が見応え、総ケヤキ造りの山門が落成。
重厚なレンガ塀(多分フランス式)の脇に「馬車止」が、時間の流れに負けず踏ん張っていた。
特に注目したいのは、
箱館戦争のとき、野戦病院となった高龍寺で斬殺された会津藩士を供養する碑
「傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑」
碑には「撰宋岳飛真蹟李華古戦場文字勒石」と刻まれている。
簡単に言うと、「宋の有名な将軍「岳飛」の真蹟で、仲間を弔う」って感じだろうか。
添文には、岳飛・文天祥・顔真卿・蘇東坡の四人の文字を、楷書・行書・草書の字を混ぜて刻んだ、
非常に珍しいタイプの碑となっているようだ。
観光地からは、ちょっと外れているけれど、是非に見ていただきたい、
函館の観光スポットだ。
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